【高校・政治経済】大日本帝国憲法

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政治分野第4講義【高校・政治経済】大日本帝国(明治)憲法についてまとめています。

大日本帝国憲法

日本最初の近代憲法は、1889(明治22)年に制定された大日本帝国憲法(明治憲法)である。天皇を中心とする中央集権国家の樹立をめざしていた明治政府が、君主権力の強い当時のプロイセン憲法を参考にして制定した欽定憲法である。

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欽定憲法

欽定憲法とは、君主により制定された憲法をいう。これによって日本は東アジア諸国のなかで、最初に近代憲法を持つ国となった。

大日本帝国憲法の特徴

  1. 明治憲法の特徴としては、天皇主権があげられる。これは国の政治のあり方を決める最終的な力である主権を、天皇が持つということである。
  2. 議会は帝国議会とされ、選挙で選ばれた議員からなる衆議院と選挙によらず華族や天皇が任命する議員からなる貴族院の二院で構成された。

日本国憲法との比較

大日本帝国憲法 憲法 日本国憲法
1889年発布、1890年施行 成立 1946年公布、1947年施行
欽定 性格 民定
天皇 主権者 国民
神聖不可侵 天皇 象徴天皇
法律の範囲内で自由や権利を認める 国民の権利 基本的人権は不可侵・永久
天皇の協賛機関 国会 国権の最高機関、唯一の立法機関
天王を助けて政治を行う 内閣 議院内閣制
天皇の名において裁判 裁判所 違憲立法審査権がある
法律によって制限できる 基本的人権 最大限に尊重、男女平等
兵役の義務あり、天皇の統帥権 軍隊 兵役の義務なし、戦争放棄

帝国議会

帝国議会は天皇の協賛(協力)機関とされ 内閣は天皇の輔弼(補佐)機関で、裁判はすべて「天皇ノ名ニ於テ」おこなうとされた。すべての国家機関は、天皇の統治権のもとに位置づけられた。

統帥権

天皇には、陸海軍を指揮・統率する統帥権、緊急勅令, 独立命令などの広範な天皇大権が認められていた。これらのうち、統帥権には議会や内閣は関与できず(統帥権の独立)。のちに政党政治を弱体化させるとともに、軍部の発言力を増大させる根拠となった。

国民の権利

国民の権利は、「臣民」の権利として、「法律ノ範囲内」で、天皇から恩恵的・制限的に認められた「法律の留保」という条件付きのもので、永久・不可侵の権利としての基本的人権とは原理 的に異なるものであった。 大正時代に入ると、明治憲法のもとでも国民の政治参加は少しずつ拡大した。

第一次世界大戦後は、世界的に民主主義を求める運動が高揚し、日本でも民本主義や天皇機関説などが主張され、その結果、政党内閣による政治が「憲政の常道」とされるようになった。

民本主義

民本主義は吉野作造が提唱した大正デモクラシーの政治理念で、国民の福利を求めて、普通選挙と政党内閣制を主張し、それは天皇主権のもとでも運用できるとした。

天皇機関説

天皇機関説は美濃部達吉が主張した学説で、明治憲法には主権が明文化されていなかったため、「天皇は国家を統治する最高機関であり、主権は国家にある」とした。この学説はのちに天皇主権に反するとして貴族院で問題化し、彼の著作は発売を禁止された。

普通選挙法

大正デモクラシーといわれる時期に、成年男性(満25歳以上) による普通選挙法が成立し(1925年)、それまでの選挙権・被選挙権を財産や納税額などで制限する制限選挙制度が撤廃された。そして選挙権は拡大し、民主主義の一定の進展をみた。その一方で、同年に治安維持法が公布された。この法律は思想・結社を取り締まる典型的な法で、政府は共産主義思想の波及と労働者階級の政治的影響の増大に備えるために、普通選挙法の施行とともに成立させたのである。

その後、世界恐慌による経済危機が社会不安を高めると、「統帥権の独立」を根拠に軍部が政治の主導権を握って、軍国主義体制をつくり、昭和初期から15年間におよぶ戦争へと日本を導いた。

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